清水の記憶

混沌とした時代の始まり その三

清水の記憶

 小生は韓国に対して何の偏見を持つ者ではないが、完全に解決した筈の過去を国民感情を土台に何度も蒸し返される現実を目の当たりにすると、若干の愛国心が芽生えてくるのを禁じ得ない。特に今回の徴用工問題は日本を代表する大企業を誹謗するものであって、企業活動に悪影響を与え、ひいては日本経済に悪影響を及ぼしかねないだけに、一日本国民として看過することはできない。

 「ライダイハン」という言葉をご存知だろうか。「ライ」とはベトナム語で「混血」を意味し、「ダイハン」とは「大韓」のベトナム語読みである。韓国がベトナム戦争に派兵した韓国人兵士によるベトナム人女性への強姦で生まれた混血児のことを指し、一説によれば最大3万人などとも言われている。

 韓国の余りに執拗な慰安婦問題に対する攻撃に対して、イギリスで「ライダイハンへの正義」という団体が設立された。慰安婦(合法的な売春婦)よりもひどい「強姦」という行為が、ベトナム戦争中に韓国人兵士によって行われた事実を世界中に広め、強姦を受けた女性と生まれた混血児の救済を韓国に求めることを目的にしている。

 この団体ができてから、それまで世界の至るところで展開されてきた慰安婦像を建てる活動が、少し下火になってきたようではあるが、油断はできない。

 韓国大法院(最高裁)が日本企業に元徴用工への賠償を命じた判決を受けて、岐阜市が今月5日から予定していた韓国大邱市の代表団の岐阜市来訪の延期を発表した。静岡市でも先月14日、朝鮮通信使を再現するイベントを興津で開いたばかりである。同じく先月10日には、朝鮮国との和平を望んだ徳川家康の「友好善隣」の精神を静岡から発信し、後世に伝えることを目指す「朝鮮通信使ネットワーク」が静岡市内の朝鮮通信使関係機関5団体により発足した。これらの活動は今後どうなるであろうか。

 「和を以て貴しとなす」とは、聖徳太子が作った「十七条憲法」の先頭に出てくる言葉である。「何事にもみんな仲良く、いさかいを起こさないのが良い」という意味だそうだが、温厚な日本人にピッタリの言葉である。

 しかしながら、こちらが礼を尽くし温厚に振舞っても、相手が感情を前面に出し対抗心を剝き出しに向かってきて、理不尽な手段で日本の名誉や尊厳が踏みにじられるとしたら、見過ごすわけにはいかない。

 トランプ大統領と中国の間の経済戦争が取りざたされているが、アメリカ国内においてはトランプ大統領の登場前から、中国に対する猜疑心や敵対心が強くなっていたという。長くなるので、この話は次の機会にしたいが、戦後70年以上に渡って続いてきた国連中心の自由で国際協調を是とする時代は終わりを迎えつつある。しばらくは混沌とした時代が続くだろう。

 新聞報道によれば、太平洋戦争中の中国人強制連行を巡り、中国人被害者と三菱マテリアルとの間で和解合意の最終履行に向けての調整が進んでいるようである。日中国交正常化を確認した1972年の共同声明は「中国政府は日本国に対する戦争賠償請求を放棄する」としたが、95年に当時の中国外相が「個人の賠償請求を阻止しない」としていた。これが日本企業による中国人被害者への賠償の根拠となるものである。

 一方で、韓国との間では1965年の日韓請求権協定で個人請求権について「完全かつ最終的に解決された」と確認している。この時の交渉過程で日本政府は「韓国側からの徴用者名簿等の資料提出を条件に個別償還を行う」と提案したが、韓国政府(朴正熙政権)の「個人への補償は韓国政府が行うので日本は韓国政府へ一括して支払って欲しい」との要求に従って、日本は「独立祝賀金」と「発展途上国支援」として無償3億ドル、有償2億ドル、民間借款3億ドルの供与及び融資を行った。この時点で、韓国人による日本側への個人賠償請求権は消滅している。

 国民の一人一人が、国民の平穏な生活を守るために毅然とした対応を取っている日本政府を応援したいものである。

2018年(平成30年)11月9日

混沌とした時代の始まり その二

清水の記憶

 韓国経済の4分の3は10財閥が占めているとも言われる、中でも現代、三星、金星の3大財閥の力は抜きん出ている。ヒュンダイ(現代)は自動車や重工業、サムスン(三星)は半導体やスマホ、LG(金星)は有機パネルや家電が代表的な製品である。

 このうち、ヒュンダイは1997年に起こったアジア通貨危機のあおりを受けて破綻し、現在は4つのグループに分かれている。主力の現代自動車グループは自動車台数で世界第5位だが、労働争議が絶えず、経営は頭打ちの状況が続いている。

 サムスンは、2000年代初頭のソニーとの半導体開発製造における提携が飛躍のきっかけになった。当時、国内には日立製作所をはじめとして東芝、三菱電機、NEC、富士通など主たる電気産業がこぞって半導体開発製造を手掛けており、日本列島が世界の半導体工場(シリコンアイランド)と言われていたものだ。

 ソニーがこの中のいずれかの企業を提携相手に選んでいれば、今日の半導体産業の世界地図は別の形になっていただろう。ソニーが国内勢ではなくサムソンを選んだのは、恐らく相手を弟分と甘く見ていたのだろう。

 ソニーとの提携で半導体開発製造の知識と資金を蓄えたサムスンは、その後の不況期に積極的投資をし、またリストラで日本の企業を退職した優秀な技術者を大量に採用するなど、果敢な経営を行った。その結果、半導体サイクルの度に生産規模を大きく増やし、世界トップの半導体製造会社になった。その後はスマホの開発にも力を置き、高級スマホ分野でアップルと並んで2大勢力となっている。

 同社の最近の決算をみると、半導体部門の営業利益だけで50%を超えており、半導体偏重の収益構造になっている。半導体市場においては、日本では東芝のリストラが完了してNANDフラッシュメモリ新工場が稼働することになっている。また、中国でも清華紫光集団の河北創新のNANDフラッシュメモリや河北創新のDRAM工場が順次稼働するなど、東アジア地域での生産力増強が目立っており、需要過多から供給が多い方向に変わりつつある。

 半導体製造装置の多くは日本製であり、製造工場の主要な部分は日本の技術に頼っていることも頭に入れておきたい。

 LGは家電部門で世界トップ企業であり、特にテレビ用有機ELの生産をほぼ独占している。有機EL開発の初期段階では、パナソニックをはじめとした日本勢が先行していた。しかし、その困難さから国内勢は次々に撤退し、技術的に最先端を走っていたパナソニックまでも、有機ELの将来性に疑問を持ち、開発を断念してしまった。

 最後まで踏ん張ったのが韓国勢であった。日本の有機EL技術者を大量に採用して開発を続け、LGは中大型の有機ELパネルを、サムスンは小型の有機ELパネルで商品化にこぎ着けた。いずれの企業もワンマン社長であったことが、リスクを抱えながらの長期にわたる先行投資を可能にしたのであろう。

 現在のところ壊滅状態の国内有機EL産業であるが、2015年1月、ソニー、パナソニックの有機EL事業と東芝、日立製作所の液晶ディスプレイ事業を集約したJOLED(ジェイオーレッド)が発足し、印刷方式での有機ELの開発製造に乗り出した。

 有機ELの製造方式には大きく分けて蒸着方式と印刷方式の2種類ある。韓国の2社は蒸着方式を採用しているが、真空状態を作り出す装置が必要である。これに対して印刷式はインクジェットプリンターの要領で、有機EL素材を基盤に印刷するもので、真空環境が不要なので製造装置がシンプルで済み、費用も抑えられるとされている。

 JOLEDは、この印刷方式の実用化に成功し、2020年度を目標に本格的な生産体制の構築を進めている。また、本年中に台湾のASUSやソニーに21.6型の医療用デシスップレィを提供することになっている。

 この他、Androidスマホではサムズンが独占的シェアを確保しているが、HUAWEIをはじめとする中国勢の伸張が著しく、galaxyの牙城を脅かす存在になっている。

 またパネルの新しい技術として、有機ELの先を行くLEDパネルの開発が進んでいる。この分野はソニー世界のトップランナーであり、将来が楽しみである。

 以上、半導体、有機ELをじはじめとする映像パネル、スマホ端末が韓国の経済を支えてきたが、協力なライバルが現れ、再び熾烈な競争が行われようとしている。

2018年(平成30年)11月9日

混沌とした時代の始まり その一

清水の記憶

 太平洋戦争時の慰安婦問題、海上自衛隊の艦船における旭日旗の掲揚、そして先日の徴用工問題と、友好国である筈の韓国による歴史問題の蒸し返しや、日本の現状を否定するかのような行動が相次いでいる。

 未来志向の関係を展開し日本の経済力を利用するほうが賢明なのは明らかなのに、法による秩序よりも国民感情が優先する隣国の振舞いにうんざりしている日本国民は、私だけではないだろう。

 韓国が日本に対して強硬な姿勢を取るようになってきた原因の一つに、二国間の経済格差が縮小してきたことがあると言われている。かつて、韓国のGDPは九州と同じ規模であり、その前は静岡県と同程度だった時期もあった。それが、2017年には日本3分の1弱にまで差が縮まってきた。韓国が順調に成長してきたのに対して、日本がバブル崩壊後20年以上にわたって殆ど成長できなかったのが、その理由である。

 日本のGDPは1994年に5兆153億円と初めて5兆円に達したものの、23年後の2017年の実績が5兆4660億円と、23年間で9%余しか成長していない。対して韓国は310兆4730億ウオンから1741兆3710億ウオンと5.6倍もの成長を遂げている。もっとも、同じ期間にアメリカが2.8倍、中国に至っては22.6倍も成長しているから、バブル崩壊後の日本経済が如何に異常な状態であったかは数字からも明らかである。

 余談だが、2008年のリーマンショック後に主要各国の中央銀行はは大規模な経済緩和を行い経済を下支えしたのに対して、日本銀行は白川総裁の指示の下、金融システムの保持に主眼を置いた金利運営(長短金利差の維持)を行った。その結果、各国の資金が円に集中し、2011年にドル円史上最高値である75円54銭を記録して、製造業を中心とした国内経済の不況と、製造拠点の海外移転を推進させることになった。

 サブプライムローンなどの不良債権による影響が殆どなかった日本が、サブプライム問題により先進国中で最大の不況に陥ってしまったのは、この日本銀行の誤った金利政策が原因である。その結果としてバブル崩壊後のデフレからようやく脱しかかっていた日本経済が、現時点まで更に10年という長期間のデフレが続き、経済成長を阻害させることになってしまった。

 日銀総裁を辞任して5年が経った最近になって、白川前総裁が講演活動を再開したようである。リーマンショック当時の金利政策の正当性と、現在の黒田総裁によって行われている大規模な金融緩和政策を批判しているそうだが、自身の誤った金利政策で超円高を引き起こした責任をどのように取るつもりなのだろうか。

2018年(平成30年)11月9日

大井川の水問題

清水の記憶

 リニア中央新幹線南アルプストンネル静岡工区の準備作業を9月18日に開始すると、JR東海が発表した。西俣、千石、椹島(さわらじま)の三か所に設けられる作業員宿舎を、前二つは2019年春頃、残りは2020年半ばまでに建設するらしい。

 この南アルプストンネルから出る湧水の処理を巡って、JR東海と地元静岡との間で意見がまとまらない。川勝知事の「静岡県を迂回するようルートの変更を」や金子JR東海社長の「地元の同意なしでの着工もありうる」など、表向きには対立の深さを感じさせる発言が続いている。

 ここで、南アルプストンネル工事に関する当事者を確認したい。リニア中央新幹線は原則として民間事業であり、建設主体はJR東海である。対する地元は静岡県、流域市町、利水団体で構成される。この二者(静岡市は除く)の間で、湧水の処理を巡り対立が続いているのである。

 新聞等のメディアでもそのように報道されている。しかしながら、予てから疑問に思っていたのだが、南アルプストンネルを含む大井川源流域の土地を所有する、「地権者」という当事者の存在が見えてこないのは何故だろう。

 静岡県の地図を見ると、大井川の上流に東西約10㎞、南北約30㎞の県域があるが、この部分は全て東海パルプ(現特種東海製紙)の社有地である。このエリアに、JR東海が作業員宿舎を建設に着手したり、トンネルの採掘で出る残土を処理(埋める)するのである。

 南アルプストンネル工事の建設に伴う作業員宿舎は工事終了後、三か所とも東海パルプに寄贈され観光施設として利用されるようである。また、当地に至る林道の整備もJR東海が行い、普通に自動車で行けるようになるそうである。地権者である東海パルプの了解との間で、契約が交わされていると考えて間違いないだろう。

 民間が所有する土地なのだから、法律の範囲内であれば何の制約も受けないのは自由主義の利点である。しかしながら、東海パルプの主たる事業は水を大量に必要とする製紙業である。そして、その水は当然ながら大井川水系に依存している。

 このように、大井川の水を巡ってJR東海と地元静岡、特に川勝知事との対立には根深いものがあるが、最大のキーパーソンは、表面に出てこない東海パルプである。

 東海道新幹線は1964年開業してから、半世紀以上に渡り、いっときも休むことなく動き続けてきた。リニア中央新幹線の開業の後は、大規模な修繕が行われるだろうし、利用客の減少により運行本数も減少するだろう。

 東西に長い静岡県。そして東京や大阪にほど近い地理的環境もあって、都市間移動には新幹線を利用せざるを得ない。将来を見据えるとJRを良好の関係を保っておくことが必要である。

 そのような観点から、静岡市がJR東海との間で基本合意したことは評価に値する。であるから、同市は南アルプストンネル工事の地元自治体として、また東海パルプは地権者として、影響力を行使し、JR東海側に働きかけて、湧水の多くが大井川に還元できるよう、円満な解決に導いて貰いたいものである。

2018年(平成30年)9月17日

かかりつけ病院

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 NHK朝のテレビ小説「半分、青い」も残り1か月を切り、佳境に入ってきた。この「半分、青い」というタイトルだが、主人公である楡野鈴愛の左耳が聞こえないことで、雨が降っていても左側の雨音が聞こえないから、「いつも左半分は晴れている」という、鈴愛の飛びぬけて明るい性格から来たものだという。

 小生も左耳が全く聞こえない。鈴愛はおたふく風邪が原因という設定だが、自分は特別の病気をしたわけでもなく、ごく普通に幼少期を送った。母親によれば、呼びかけに対する反応が稀に鈍い時があったようだが、気にするほどでも無かったとか。

 小学校に入り、学校で健康診断を行った特に、初めて左耳が聞こえないことが分かった。病院に行き様々な検査を受けたが、耳の形状や病気の痕跡などはなく、神経系統が働いていないことによる難聴と診断された。

 当時、清水厚生病院は西久保にあった(正しくは宮下町だが、チンチン電車(静鉄市内線)の停留所が「西久保」だったことから、厚生病院=西久保というのが清水市民の共通認識)。自宅から近かったこともあって、厚生病院の耳鼻科に3年程は通っただろうか。神経を目覚めさせるという、安価とはいえない薬を飲み続けたが、効果はなかった。

 それから現在に至るまで、左耳の回復は諦め、右耳を大切にすることに専念してきた。とは言うものの、夏になると、学校のプールは勿論のこと、興津川や袖師海岸も当時は砂浜だったので、ほぼ毎日、泳ぎに出掛けた。耳に水が入ったのも数えきれない位あったが、それでも右耳が無事だったのは、運が良かったのか、それとも母親の愛のお陰か。そんな縁もあって、子供の頃から現在まで、小生の掛かりつけ病院は清水厚生病院である。

 今から20程前、21世紀を迎えた頃は、医師の数も50人程度はいたように思う。病院南側駐車場の西側、今はベル・エクスプレス車庫になっている所や、清水スポーツ整形外科の場所も、当時は厚生病院の駐車場だった。入院病棟も3階から6階まであって、常にほぼ満室の状態、地域医療に大きく貢献していた。

 それが、小泉純一郎による医療制度改革の断行で状況が大きく変わってしまった。診療報酬の引き下げで収益構造が悪化した。また2004年度に施行された臨床医研修制度改革の影響で、それまでは大学の医局によって配属先の病院を決められていた研修医が、病院を自由に選択できるようになった。その結果、大都市の有力病院に若手医師が集中するなど医師配置の偏在化を生み出し、地方における医師不足の大きな原因となった。

 また、こんなこともあった。もう10年以上前になるであろうか。富士市立病院の産婦人科医師が退職することになり、産婦人科閉鎖の危機に陥ったことがあった。そこで浜松医大に産婦人科医師の派遣を依頼したのであるが、同大の採った対応が、清水厚生病院に派遣していた医師全員を富士市立病院に回すというものであった。

 市立清水病院や桜ヶ丘病院にも産婦人科があり、清水厚生病院の同科を撤退しても地域医療に与える影響は少ない、というのがその理由であった。それから数年が経ち、今度は浜松医大医局の小児科医師が足りなくなった。そこで、産婦人科がない病院に小児科は必要ないという、またも清水厚生病院を狙い撃ちしたような人事を行った。

 こうして、産婦人科に小児科という、地域医療にとり重要な2つの科が清水厚生病院から無くなってしまった。これと、先に述べた小泉政権による医療制度改革による弊害のダブルパンチで、医師の数が急激に減少し、一時は10人程にまで減ってしまった。その後の頑張りで、当時に比べれば現在は医師も充実し、患者数も回復傾向にあるようである。

 今は内科循環器に定期的に通っているが、昨年の夏頃だろうか、それまで県立総合病院に勤務していたM医師が新しく清水厚生病院に赴任し、循環器患者を中心に積極的に診てくれている。京大博士号を持つ優秀な先生で、とても気さくで話易く、年齢も小生より10歳は若いだろう。良い方に巡り合えたと感謝している。

 清水厚生病院と、前回取り上げた共立蒲原病院は、医師数、入院ベッド数などで比べる限り、ほぼ同程度の病院といえるだろう。蒲原病院には静岡市、富士市、富士宮市から7億円余の負担金(補助金)が投入されているが、経営は赤字である。

 対して、清水厚生病院はどうだろう。清水厚生病院単独の収益は不明であるが、数年前の新聞報道では、静岡厚生連の赤字を県下JAグループ内の支援金で補っているとのことであった。全国的に農協組織の整理が進む中で、静岡県は県信連と経済連が共に残存している。それほど県下農協の力は強い。そのおかげで億単位の支援金を得られているのだと推察するが、いつまでも現状が続くとは限らない。静岡市から蒲原病院に投入されている負担金のうち、過多と思われる部分だけでも清水厚生病院に回して貰えるとありがたいのだが。

 子供の頃からずっと清水厚生病院を利用してきた。同病院が現在の地に移転して40年弱。当時の静岡県下農協組織は、県信連事務センターの開設、静岡第一テレビ開局など、大型投資を行う資金力を持ち、組織力は今以上に強かった。

 時を同じくして建てられた清水厚生病院も、きっと多額の費用を掛けて作られたのだろう。配管系や冷暖房施設は改修の余地があるかもしれないが、建物自体はひび割れ一つなくまだまだ使えそうである。これからも変わることなく、地域の拠点病院であり続けて欲しいものである。

2018年(平成30年)9月2日

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