清水の記憶

大井川の水問題

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 リニア中央新幹線南アルプストンネル静岡工区の準備作業を9月18日に開始すると、JR東海が発表した。西俣、千石、椹島(さわらじま)の三か所に設けられる作業員宿舎を、前二つは2019年春頃、残りは2020年半ばまでに建設するらしい。

 この南アルプストンネルから出る湧水の処理を巡って、JR東海と地元静岡との間で意見がまとまらない。川勝知事の「静岡県を迂回するようルートの変更を」や金子JR東海社長の「地元の同意なしでの着工もありうる」など、表向きには対立の深さを感じさせる発言が続いている。

 ここで、南アルプストンネル工事に関する当事者を確認したい。リニア中央新幹線は原則として民間事業であり、建設主体はJR東海である。対する地元は静岡県、流域市町、利水団体で構成される。この二者(静岡市は除く)の間で、湧水の処理を巡り対立が続いているのである。

 新聞等のメディアでもそのように報道されている。しかしながら、予てから疑問に思っていたのだが、南アルプストンネルを含む大井川源流域の土地を所有する、「地権者」という当事者の存在が見えてこないのは何故だろう。

 静岡県の地図を見ると、大井川の上流に東西約10㎞、南北約30㎞の県域があるが、この部分は全て東海パルプ(現特種東海製紙)の社有地である。このエリアに、JR東海が作業員宿舎を建設に着手したり、トンネルの採掘で出る残土を処理(埋める)するのである。

 南アルプストンネル工事の建設に伴う作業員宿舎は工事終了後、三か所とも東海パルプに寄贈され観光施設として利用されるようである。また、当地に至る林道の整備もJR東海が行い、普通に自動車で行けるようになるそうである。地権者である東海パルプの了解との間で、契約が交わされていると考えて間違いないだろう。

 民間が所有する土地なのだから、法律の範囲内であれば何の制約も受けないのは自由主義の利点である。しかしながら、東海パルプの主たる事業は水を大量に必要とする製紙業である。そして、その水は当然ながら大井川水系に依存している。

 このように、大井川の水を巡ってJR東海と地元静岡、特に川勝知事との対立には根深いものがあるが、最大のキーパーソンは、表面に出てこない東海パルプである。

 東海道新幹線は1964年開業してから、半世紀以上に渡り、いっときも休むことなく動き続けてきた。リニア中央新幹線の開業の後は、大規模な修繕が行われるだろうし、利用客の減少により運行本数も減少するだろう。

 東西に長い静岡県。そして東京や大阪にほど近い地理的環境もあって、都市間移動には新幹線を利用せざるを得ない。将来を見据えるとJRを良好の関係を保っておくことが必要である。

 そのような観点から、静岡市がJR東海との間で基本合意したことは評価に値する。であるから、同市は南アルプストンネル工事の地元自治体として、また東海パルプは地権者として、影響力を行使し、JR東海側に働きかけて、湧水の多くが大井川に還元できるよう、円満な解決に導いて貰いたいものである。

2018年(平成30年)9月17日

かかりつけ病院

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 NHK朝のテレビ小説「半分、青い」も残り1か月を切り、佳境に入ってきた。この「半分、青い」というタイトルだが、主人公である楡野鈴愛の左耳が聞こえないことで、雨が降っていても左側の雨音が聞こえないから、「いつも左半分は晴れている」という、鈴愛の飛びぬけて明るい性格から来たものだという。

 小生も左耳が全く聞こえない。鈴愛はおたふく風邪が原因という設定だが、自分は特別の病気をしたわけでもなく、ごく普通に幼少期を送った。母親によれば、呼びかけに対する反応が稀に鈍い時があったようだが、気にするほどでも無かったとか。

 小学校に入り、学校で健康診断を行った特に、初めて左耳が聞こえないことが分かった。病院に行き様々な検査を受けたが、耳の形状や病気の痕跡などはなく、神経系統が働いていないことによる難聴と診断された。

 当時、清水厚生病院は西久保にあった(正しくは宮下町だが、チンチン電車(静鉄市内線)の停留所が「西久保」だったことから、厚生病院=西久保というのが清水市民の共通認識)。自宅から近かったこともあって、厚生病院の耳鼻科に3年程は通っただろうか。神経を目覚めさせるという、安価とはいえない薬を飲み続けたが、効果はなかった。

 それから現在に至るまで、左耳の回復は諦め、右耳を大切にすることに専念してきた。とは言うものの、夏になると、学校のプールは勿論のこと、興津川や袖師海岸も当時は砂浜だったので、ほぼ毎日、泳ぎに出掛けた。耳に水が入ったのも数えきれない位あったが、それでも右耳が無事だったのは、運が良かったのか、それとも母親の愛のお陰か。そんな縁もあって、子供の頃から現在まで、小生の掛かりつけ病院は清水厚生病院である。

 今から20程前、21世紀を迎えた頃は、医師の数も50人程度はいたように思う。病院南側駐車場の西側、今はベル・エクスプレス車庫になっている所や、清水スポーツ整形外科の場所も、当時は厚生病院の駐車場だった。入院病棟も3階から6階まであって、常にほぼ満室の状態、地域医療に大きく貢献していた。

 それが、小泉純一郎による医療制度改革の断行で状況が大きく変わってしまった。診療報酬の引き下げで収益構造が悪化した。また2004年度に施行された臨床医研修制度改革の影響で、それまでは大学の医局によって配属先の病院を決められていた研修医が、病院を自由に選択できるようになった。その結果、大都市の有力病院に若手医師が集中するなど医師配置の偏在化を生み出し、地方における医師不足の大きな原因となった。

 また、こんなこともあった。もう10年以上前になるであろうか。富士市立病院の産婦人科医師が退職することになり、産婦人科閉鎖の危機に陥ったことがあった。そこで浜松医大に産婦人科医師の派遣を依頼したのであるが、同大の採った対応が、清水厚生病院に派遣していた医師全員を富士市立病院に回すというものであった。

 市立清水病院や桜ヶ丘病院にも産婦人科があり、清水厚生病院の同科を撤退しても地域医療に与える影響は少ない、というのがその理由であった。それから数年が経ち、今度は浜松医大医局の小児科医師が足りなくなった。そこで、産婦人科がない病院に小児科は必要ないという、またも清水厚生病院を狙い撃ちしたような人事を行った。

 こうして、産婦人科に小児科という、地域医療にとり重要な2つの科が清水厚生病院から無くなってしまった。これと、先に述べた小泉政権による医療制度改革による弊害のダブルパンチで、医師の数が急激に減少し、一時は10人程にまで減ってしまった。その後の頑張りで、当時に比べれば現在は医師も充実し、患者数も回復傾向にあるようである。

 今は内科循環器に定期的に通っているが、昨年の夏頃だろうか、それまで県立総合病院に勤務していたM医師が新しく清水厚生病院に赴任し、循環器患者を中心に積極的に診てくれている。京大博士号を持つ優秀な先生で、とても気さくで話易く、年齢も小生より10歳は若いだろう。良い方に巡り合えたと感謝している。

 清水厚生病院と、前回取り上げた共立蒲原病院は、医師数、入院ベッド数などで比べる限り、ほぼ同程度の病院といえるだろう。蒲原病院には静岡市、富士市、富士宮市から7億円余の負担金(補助金)が投入されているが、経営は赤字である。

 対して、清水厚生病院はどうだろう。清水厚生病院単独の収益は不明であるが、数年前の新聞報道では、静岡厚生連の赤字を県下JAグループ内の支援金で補っているとのことであった。全国的に農協組織の整理が進む中で、静岡県は県信連と経済連が共に残存している。それほど県下農協の力は強い。そのおかげで億単位の支援金を得られているのだと推察するが、いつまでも現状が続くとは限らない。静岡市から蒲原病院に投入されている負担金のうち、過多と思われる部分だけでも清水厚生病院に回して貰えるとありがたいのだが。

 子供の頃からずっと清水厚生病院を利用してきた。同病院が現在の地に移転して40年弱。当時の静岡県下農協組織は、県信連事務センターの開設、静岡第一テレビ開局など、大型投資を行う資金力を持ち、組織力は今以上に強かった。

 時を同じくして建てられた清水厚生病院も、きっと多額の費用を掛けて作られたのだろう。配管系や冷暖房施設は改修の余地があるかもしれないが、建物自体はひび割れ一つなくまだまだ使えそうである。これからも変わることなく、地域の拠点病院であり続けて欲しいものである。

2018年(平成30年)9月2日

共立蒲原総合病院の運営

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 共立蒲原総合病院組合規約によれば、同組合経費の負担割合は、共立蒲原総合病院の経営について静岡市56%、富士市41%、富士宮市3%であり、介護老人保健施設芙蓉の丘の経営等については静岡市63.04%、富士市33.94%、富士宮市3.02%となっている。

 最新の統計で旧庵原郡の人口を調べると、蒲原地区11,378人、由比地区8,127人、計20,505人。また富士川地区8,627人、松野地区6,828人、内房地区1,311人、計16,866人。集計すると静岡側54.9%、富士富士宮側45.1%になる。

 よって、現状の負担割合は旧庵原郡の人口割合が基準になっていると推察することができる。

 一方で同組合議会の議員12人の選出区分は静岡市5人、富士市5人、富士宮市2人と、富士富士宮市側の有利になるよう定められている。

 また蒲原病院を利用する患者を調べた数字では、同病院が富士医療圏に組み込まれており、休日夜間当番医にもなっている影響もあるのか、外来入院共に富士富士宮側約55%、静岡側約42%という、旧庵原郡の人口比とは逆の結果が出ている。蒲原病院の決算は赤字なので、その過半数を利用比率が低い静岡側が負担しているということになる。

 人口を基本にするならば、経費の負担割合だけでなく、組合議員数も静岡側を過半数にするべきだ。また利用する患者数を基本にするならば、静岡側の出資割合を患者割合に準ずる40%程度にするべきである。

 どう読んでも現在の組合規約は静岡側に多くの負担を強いており、強く改善を訴える必要がある。概算で年間1億円以上の負担減になり、大金である。

(参考)各市の予算を調べると、平成30年度当初予算の共立蒲原病院に対する負担金は、静岡市413,202千円、富士市271,683千円(他に補助金29,092千円)、富士宮市22,085千円となっている。

2018年(平成30年)8月26日

清水に必要なもの

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 いつの頃からか夏の紅白とも称されるようになった「NHK思い出のメロディ」、時を重ねて第50回の放送が昨夜流れていた。小さかった頃に両親が毎回欠かさずに見ていたのを思い出すが、聞こえてくるのは古臭い歌ばかりでこの番組が嫌いだった。

 だが、時代は移り、昨夜は「思い~込んだ~ら」と巨人の星のテーマが流れ、荻野目洋子のダンシングヒーロー、西城秀樹のブルースカイブルー、そしてWINKの淋しい熱帯魚と、小生の少年時代から青春期にかけての曲が続いた。WINKなんてほんの数年前のグループと思っていたのに、淋しい熱帯魚は平成元年の発売。それからもう30年近く経つとは。

 西城秀樹がデビューしたのは1972(昭和47)年だが、時を同じくして世界経済を、清水の経済基盤を根底から揺るがすような大事件が起こっている。

 戦前から戦中にかけて、富国強兵政策のもと、清水には多くの企業が進出した。中年以上の清水市民にとって、東燃豊年軽金鋼管日立、といえば、戦後高度成長期の清水経済を支えた企業群として、名前位は聞いたことがあるだろう。東亜燃料、豊年製油、日本軽金属、日本鋼管、日立製作所。当時の名だたる大企業から受ける恩恵で、当時の清水は活況を呈していた。

 製造品出荷額は断トツの県下トップ。バスの三保線は通勤や家族の利用で文字通りドル箱路線、静岡鉄道の稼ぎ頭だったそうだ。ところが、1971(昭和46)年のドルショックと1973(昭和48)年のオイルショックという、2つのショックからくる世界経済の大変革が、重厚長大に偏っていた清水の産業に大きな影響を与え、今日まで50年近く続く清水縮小のターニングポイントになった。

 沼津高専を卒業して日立に就職し、配属されたのが横浜市戸塚区にあるソフトウエア工場であった。当時はコンピュータシステムの導入初期で、中でも金融機関におけるオンライン化の波はすさまじく、現在の会社名でいえば三菱UFJ銀行、みずほ銀行、野村証券といった、日本を代表する金融機関のシステムオンライン化に携わった。

 当時の戸塚区周辺には、ソフトウエア工場以外に横浜工場と戸塚工場があり、茨城県に次ぐ日立の一大拠点であった。それに比べると清水工場は余りにも小さかった。そんな小さな清水工場に縁があり、バブル絶頂期の頃に希望して清水工場に職場を変えて貰った。

 それでも、小生が清水に来た頃は、関連会社を合わせると4000人近い従業員が働いていた。バブル景気で場内は活況を呈し、新工場建設が具体化していたが、日本経済変調の兆しを受け、着工直前で計画は中止された。その後は坂道を転げ落ちるように縮小を続け、現在では外資の傘下に入っている(日立の他工場を経験した者から見ると、清水工場が衰退したのには清水独特の理由があるのだが、微妙な内容を含んでいることもあり、今回は触れないことにする)。

 少々長くなったが、高度経済成長の終焉に伴って清水にあった企業群が整理統合の対象になった要因の一つに、工場の規模が大きくなかったことがあるように思う。製造業の整理統合(リストラ)というのは、小さな工場をより縮小して大きな工場に生産を集中したり、工場そのものを売却などで切り離すことである。その「大きな工場」が清水には無かったのである。

 唯一、日本軽金属は早川水系の水利権を有しているおかげで、安い電力を得ることが可能で、国内で1ヶ所だけ、アルミナ精錬工場を蒲原に持つことができたおかげで、清水工場もそのままの形で現在まで残ることができている。

 東亜燃料は1970年代に沖合を埋め立て、設備を増設する計画が具体化していた。川崎、和歌山の両工場に比べて規模が小さかった原油精製設備を拡充して、精製能力を一日当たり約16万キロリットルにするものだったと記憶しているが、市民団体を中心とした反対派の運動が影響して中止になってしまった。

 歴史に「もしも」は無いが、東燃増設が実現していたら、東海地区有数の石油基地として、県内だけでなく、山梨長野方面への供給も視野に、また装置産業であることから多額の固定資産税も期待できるなど、地元への貢献は計り知れないものがあったのではないだろうか。

 長年にわたり放置されてきた東燃遊休地に、LNG火力発電所建設話が持ち上がったのは数年前のことであったが、合併を繰返しJXTGとなったことで会社の方針が変更になったのか、本年3月にこの計画は中止となった。中止に至った経緯は不明であるが、国内企業である旧日本石油の傘下に入ったことで、利益至上主義とは一線を画する経営判断が働いたのではないだろうかと推察する。

 さて、長々と書いてきたが、ようやく結論に近づいてきた。40万平方メートル(64.2万平方メートルからLNG基地を差し引いた推計)規模の東燃(JXTG)遊休地の利用方法について、静岡市が「市がめざすまちづくりの方向性との一致」を求めているという。清水庁舎をJR清水駅東口に整備するから、それに沿った方向で広大なな遊休地を開発しろとでも言うのであろうか。

 旧来から静岡県が策定している清水港港湾計画では港湾区域に組み込まれ、工業用地に区分けされている私企業の土地に、よもや工場を作るなというのではあるまいが、現在の市長は唐突な発言や判断が目立つので心配にもなる。

 一部には、サッカー球技場やアウトレットなどという声もあるようだが、その球技場やアウトレットを利用する住民の数が激減しているのが現在の清水である。何よりも、働く場所と安定した税収の確保を図ることが先決である。そのためには、中途半端ではなく、国内でトップとなる新しい産業を持ってくることが必要である。

 JXTGは石油を主とするエネルギー関連企業であるが、例えば、未来のエネルギーと位置づけられている水素エネルギーの一大製造供給基地とするのはどうだろうか。現段階では、工業プロセスの副産物として出る水素が主な供給源となっているようであるが、技術革新により、近い将来、水(H+O+H)から安価に水素を生み出すことも可能になるだろう。

 清水は昔も今も、港を中心とする産業都市である。港湾設備は静岡県が力を入れて整備を続けてくれている。静岡市は、この県や地元の意向を理解して、清水発展の障害となるような横やりは避けて貰いたいものだ。

2018年(平成30年)8月19日

二酸化炭素増加の原因

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 地球温暖化の主な原因とされている二酸化炭素(CO2)の増加だが、興味深いデータを見つけたので紹介する。

 それは二酸化炭素の発生源に関するもので、2015年に人類の活動で排出した世界の二酸化炭素合計が約329億トン(全国地球温暖化防止活動推進センター)であるのに対して、土壌から放出される二酸化炭素は地球全体で年間約3600億トン(国立環境研究所地球環境研究センターニュース2018年8月号)と推定されているというものだ。

 海からも多量の二酸化炭素が放出されているそうであるが、その影響を除くとしても、人類に起因する二酸化炭素排出量が全体の「11分の1」に過ぎないのに、その小さな器の中で、二酸化炭素削減による温暖化防止とか大騒ぎしているのが、現在の世界の姿である。

 人類が排出する二酸化炭素は2000年236億トン、2005年275億トン、2010年311億トンと増加傾向にはあるものの、上に示したように2015年が329億トンであることから、300億トン強の水準で収束してきているといえる。

 一方で、大気中の二酸化炭素の濃度が20世紀の初めには290ppmであったものが、近年は400ppm程度にまで上昇してきているのも事実である。

 だが、土壌に比べて2015年で11分の1、それより前はもっと少なかった人類による二酸化炭素排出が、地球温暖化の主たる原因か、と少し異なる観点で事実を確認すると、首をかしげざるを得ない。それ以前に、二酸化炭素が地球温暖化の原因かどうかも極めて怪しいのだ。

 地球温暖化を懐疑的に見る自身ではあるが、今年の夏の暑さは堪える。典型的な異常気象であろう。加えて、複眼思考で二酸化炭素の発生源を調べ直すと、人類よりも自然活動によるものの方が圧倒的に多いことが分かる。

 パソコンという革命的ともいえる装置を得て、個人による差、「個」の時代がますます顕著になって行くことだろう。

2018年(平成30年)8月10日

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