清水の記憶

静岡市長選その後

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 4月7日に実施された静岡市長選の投票日から2週間が過ぎた。 3選がなった田辺市長は翌日、県庁に出向き川勝知事に当選の報告と関係のノーサイドを呼びかけたが、知事は「もともと争い事はない」とこの提案を一蹴した。

 そればかりか、この2週間知事の発言は以前にも増して静岡市政への攻撃度を強めているようである。たしかに田辺市長は県の施策にケチを付けることはないし、争いではなくひょっとすると知事による独り相撲なのかもしれない。

 市長選では特定の候補を支援しないと表明していた知事だが、代わりに貴美夫人を天野候補の集会に差し向けていた。知事に負けず劣らず辛辣な言葉で田辺候補を批判していたのは似た者夫婦、それとも類が友を呼んだ成れの果てか。

 清水港の整備や駿河湾フェリーの存続など、清水に好意的な川勝知事を評価しているが、昨今の執拗とも思える田辺市政批判には閉口せざるを得ない。とりわけ静岡市が計画する幾つかの箱物投資に対して批判を繰り返しているが、その中で最大の争点である清水庁舎と桜ヶ丘病院の移転について検証してみたい。知事が問題にするのは病院の移転先が津波浸水想定区域に含まれている事だ。ではどのくらい危険なのだろうか。

前提
①レベル2の津波想定で清水庁舎付近は最大2m程度の浸水(レベル2とは1000年に1回程度の確立で発生する規模の津波)
②静岡県が整備する津波防護施設の完成で2mの浸水高が10㎝程度にまで減少する。

検証
1.レベル2で発生する津波で最大2mの浸水ということは、何回に1度の確率で2m浸水するという事である。今回は3回に1度の確率とする。
2.津波防護施設で防ぎきれない場合が生ずる。この確率を3回に1度とする。

結果 津波による清水庁舎付近で2m浸水する確率は次のようになる。
  (1/1000)年×(1/3)回×(1/3)回=(1/9000)年
 つまり清水庁舎付近で2m浸水する確率は9000年に1度ということになる。ではこの9000年に1度という確率が他の災害と比べて大きいのか小さいのか。静岡県で心配されている大災害といえば地震と津波の他に富士山の噴火があるので、富士山噴火について調べてみる。

有史以来、富士山の噴火は次の様である。
1.大噴火が3回。800年延暦大噴火、864年貞観大噴火、1707年宝永大噴火
2.大噴火を含めて781年から現在まで17回の噴火が記録されている。

 静岡県ホームページの富士山火山防災GISによれば降灰域や土石流域は極めて広範囲にわたる。例えば約300年前の1707年の宝永大噴火では御殿場小山地域で降灰高が1mを超えている。海水と異なり火山灰は傾斜地を除き自然に流れ去ることがないので、これらの地域は長期間にわたって居住はおろか立入ることも困難になると想定される。復興の困難さは津波浸水域の比ではないだろう。

 このように、富士山の噴火サイクルや被害の甚大さと南海トラフのそれを確率で比べると、火山の危険性の方が断然高い。にも拘わらず知事という県全体を管轄する立場にある者が、津波浸水域ばかりに注目 し、静岡市の一病院の立地について執拗に干渉する振舞いの裏には、どのような深謀があるのであろうか。

 川勝知事に好印象を持っていただけに、選挙後の田辺市長の「ノーサイド提案」に対する知事の反応は頂けない。田辺市政に不満は山ほどあるが、川勝知事の学者としての実績は申し分ないとしても、学業の以前に人間としてどうあるか。本質の問題である。

2019年(平成31年)4月21日

人生の選択

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 マイかかりつけ病院の清水厚生病院で、4月から婦人科外来診療が大幅に拡充される。病院のホームページによれば、鈴木康之医師が水曜日を除く毎日、診察にあたるようだ。そういえばベイプレス(清水のコミュニティ誌)最新号にも、医師の写真付きで清水厚生病院婦人科の記事が掲載されていた。はて?どこかで拝見したような顔付きと名前だったので調べてみると、10年前まで清水厚生病院に勤務し、副院長として産婦人科を取り仕切っていた方であった。

 鈴木医師は清水市に生まれ、清水東高校から岡山大学医学部に進んだ。卒業後は浜松医科大学産婦人科関連病院で勤務し、平成21年に副院長であった清水厚生病院から富士市立中央病院の産婦人科に移り、現在は副院長の立場で勤務されている。清水厚生病院から富士市立中央病院に移られた経緯は、本ブログの2018年9月2日「かかりつけ病院」で紹介した通りなので、興味のある方はそちらを参考にされたい。

 年齢から察するに、恐らくは65歳の定年を迎えられたのであろう。岡山大学という偏差値の高い医学部を出ながら浜松医大の医局に入られたのは、地元医療に携わりたいという意思に基づく選択と推察する。それが50代半ばになって、皮肉にも所属する医局の指示で清水から富士に転勤せざるを得なかったとは。心中如何ばかりか察するに余りある。

 小生は日立に入り、横浜、清水、大阪、山口(下松市)の4か所で勤務してきた。初めての勤務場所は横浜市戸塚区のソフトウエア工場で、大型コンピュータの基本ソフトウエア(OS)開発に携わった。ほぼ同時期にIBM産業スパイ事件が起きているが、相当に際どい作業を行った時もあった。

 その後、自身の意思で清水工場勤務になったが、基本ソフトの情報技術者と空調機等の生産が主体な清水工場では、接点が少なく役不足の面があったのも確かである。あのまま横浜に留まって情報関連の仕事を続けていれば、今頃はどんな生活を送っていただろうか。

 サラリーマンとして組織の指示は絶対であり、受け入れないのであれば、組織を離れる他ない。留まるか離れるか。大きな選択であり、それはそれで一つの人生である。

2019年(平成31年)3月17日

祝!中部横断自動車道開通

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 戦前から戦後の高度成長期にかけて、港橋と横砂を結ぶ市内電車(チンチン電車)が走っていた。沿線に住んでいた小生は、清水の街に行くと言えばこの電車を利用し、旅行以外にバスに乗ることは殆どなかった。しかしながら、昭和49年の七夕豪雨で庵原川に掛かる鉄橋の橋脚が傾き、さつき通りを電車が行き来し交通安全性に問題があるなど総合的な判断の結果、その後一度も走る事なく廃止された。

 その代替として、港橋と横砂(現在の横砂南町バス停)の間に港橋横砂線というバス路線ができた。この路線は清水駅前のバスターミナルには入らず、バス停が港橋方面は現在のホテルクエスト前、横砂方面は旧西友前に置かれていた。

 後に静岡鉄道の関係者から聞いた話であるが、チンチン電車で最後まで残った清水市内線を、従前から静鉄としては廃止したかったそうだ。豪雨による橋脚の破損はその切っ掛けを作ってくれた、言ってみれば渡りに船の出来事だったのかもしれない。

 その西友前のバス停での出来事である。もう30年以上前になるだろうか。家に帰ろうとバス停に向かうと、幼なじみで同級生のR子がバスを待っていた。彼女はお嬢様学校を卒業し、清水市役所で正規職員として働いていた。

 そのR子と、バスを降りて自宅のそばで別れるまで色々な話をした。当時、彼女は中部横断道路を誘致する部署で働いており、国が定める高規格幹線道路網に組込んで貰えるよう、積極的な誘致活動を展開していた。話によれば、東名高速道路、中央自動車道といった東西に延びる高速道路網を南北に結ぶ路線としての存在意義はあるものの、トンネルが多いなど採算性に問題があるのか、誘致活動が難航しているようであった。

 また、第一優先順位は清水市(当時)にあるものの、清水市の誘致失敗を富士市が狙っているようで、「ヘタをしたら富士に取られちゃう」と予断を許さない現状の裏話まで紹介してくれた。富士ルートならば、全長5千メートルの樽峠トンネルも必要ないだろうし、多額の建設費用が必要な清水への誘致が困難を極めたのは、容易に想像できる。

 結果として、山梨県内の一部区間を国の新直轄事業に置き換えるなど費用を圧縮し、難産ではあったが無事に国土開発幹線自動車道の路線に組み入れられ、建設が決まった。それから30年余、事の遅れで何度か開通予定が延長された末に今日、待望の県内部分開通を迎える事ができた。

  静岡県として初めてとなる、本格的な南北軸の開通である。東名、新東名などの東西軸に加えて北に向かう新しい交通軸の誕生である。南に向かっては清水港から世界に向けての海路が通じていることから、清水にとってどれ程の経済効果をもたらしてくれるか、期待したいものである。

 然るに、昨今の静岡市政はどうであろう。 清水いはらICと国道1号バイパスを結ぶ県道75号(清水富士宮線)バイパスは中部横断自動車道の開通より早く完成予定だったが、もう何年も前に延期となり、完成がいつになるのか目途さえ立っていない。

 地元の理解が得られず土地買収が遅れているようである。市と庵原地区住民の間は、ごみ焼却場の建設問題がこじれてから良好な関係が築けていないと聞くが、ならば信頼関係を構築すべく市長自らが出向き、地元と向き合うべきではないだろうか。

 サッカー球技場にしてもそうである。2年程前に行われた清水区民とのタウンワーキングの場で、東燃敷地にサッカー球技場が描かれた大きなパネルを 田辺市長自らが市民の前に掲げ、さも建設計画が進行中であるかのような印象を与えた。ところが、実際に市が行っているのは、Jリーグ基準に達していない日本平スタジアムの洋式トイレの数を増やすべく、和式を洋式に変えるための予算計上だそうである。新球技場の計画があるならば、日本平の改修をする筈はない。

 正直な気持ち、田辺市長という人間の本質が不可思議でならない。普通の感覚であれば、市長という公職にある人間が市民の面前でサッカー球技場の完成予想図を掲げたのであれば、それなりの裏付けがあると信じ、市民が期待を込めるのはごく自然である。仮に何ら根拠がなかったのであれば、正に清水区民を裏切る行為であり、市長という公職に就く資格はないでろう。

  ともあれ、今日は素直に中部横断道路の開通を喜ぶ事にしよう。長野県の白樺や蓼科に旅行で行く時など、悪路の国道52号を避け、御殿場から中央高速経由で行き来した事が 何度となくあった。今回の部分開通で残り20数キロとなり、この位であれば、行きは北進、帰りは南下で利用できそうである。来年度中には全線開通が予定されているとの事で、先行きが楽しみである。

  山梨や長野方面からの車が増えると、今でさえ混雑している港湾道路の渋滞が一層激しくなりそうで、何とか早急に対策を取って貰いたいものである。

2019年(平成31年)3月10日

深層を見抜く力

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 1月24日に行われた難波喬司氏の出版記念講演会では、静岡市長選への出馬は公表されなかったものの、出席者からの出馬要請や難波氏へのインタビューでも出馬に前向きの発言が出ていたことから、出馬の公算が大きいとの観測が流れていた。しかしながら、この場にスズキの鈴木修会長を招待したことが、結論を思わぬ方向に導くことになってしまった。

 鈴木修氏が講演会に出席するとの噂は従前から広まっていた。スズキの下請けであったり、スズキ車の販売店だったりと、静岡市内でもスズキと関係のある企業は 一定数あるが、静岡市長選挙を契機に自身の影響力を中部にまで拡大しようと目論んでいたのであろうか。「浜松ならともかく他都市の選挙なので分かりません」とインタビューに答えていたのが本心であるのなら、のこのこ静岡まで出向いてくる事はあるまい。小生の周りでも、そんな疑心暗鬼の声が駆け巡っていた。

 難波氏は経歴を見れば分かるように、大学を卒業して運輸省に入り、港湾関係を中心に運輸行政の先頭に立って活躍してきた、保守本流の人物である。今回の静岡市長選においても、できれば保守を地盤に出馬したかった筈である。しかしながら、市内に4つある自民党市部のうち、静岡、由比、蒲原の3市部は早々に田辺現静岡市長の推薦を決めてしまった。そして、残る清水支部も週明けには田辺を推薦するか否かの結論を出す手はずになっていた。

 清水の経済界は田辺支持と難波支持に分かれており、難波氏の出版記念講演会がどのような集まりになるかも、推薦を決める材料の一つであった。清水の経済会の基盤は保守支持である。だが、これまでの田辺市政に対する不満は強く、対抗馬を模索する動きが以前からあった。

 そこに難波擁立の話が持ち上がったのであるが、問題は後ろ盾が川勝知事である事だった。民主が地盤の知事が推す人物を表だって支持する訳には行かないのである。だから、講演会の場が出来る限り川勝色を排除した集まりになる事を、期待を込めて見守っていたのである。しかし、残念ながら川勝知事が用意した神輿の上に難波氏が乗るという構図が明らかになってしまった。

 それだけではない。川勝知事の後ろ盾である西部の経済人である鈴木修氏まで招待し、出席者代表として挨拶までさせたのが致命的であった。中部の経済人としてとても支持できる道理がない。講演会が開かれた1月24日は木曜日であり、自民党清水支部は週明けにも支持の結論を出す予定だったと前に書いたが、実際にはその2日後の26日土曜日に、早々と田辺推薦の結論を出してしまった。それ程までに、清水経済会の落胆と怒りは大きかったのである。

 難波氏としては、清水支部の推薦を取り付け、田辺市政に不満を持つ静岡地区の経済人も少なからずいる事から、それらの反田辺保守勢力を後ろ盾に出馬を目指していたものと推察するが、自民党清水支部が田辺支持とあっては万事休す、出馬断念の道しか残されていなかったのであろう。

 このような難波氏の思いが、知事には分からなかったのであろうか。もともと難波氏は出馬に慎重だったが、知事からの強い要請もあって出馬の可能性を探っていたと伝えられている。また、知事自身の後ろ盾は鈴木修氏かもしれないが、中部の人間にとって、少なくとも小生の周りにいる者で、出版記念講演会の出席者挨拶に鈴木修氏を選んだ事を肯定的に捉える経済人はおらず、難波氏の構想とも相いれないものであった。

 川勝知事は就任して10年目になるが、その辺りの静岡県独特の事情、心の「機微」が未だ理解できていないのであろうか。今まで良好だった清水と知事の関係にすきま風が吹くような事にならなければ良いのだが。先行きが心配である。

2019年(平成31年)2月3日

川勝知事と「静岡」

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 「静岡市役所に十数人いる局長の中で旧清水市役所の出身者は一人もいない」。 2年ほど前になるだろうか。川勝静岡県知事が記者会見の場で語った内容である。この発言で、川勝知事が批判する静岡市に清水が含まれないと分かった。

 旧静岡市の職員と旧清水市の職員に能力差がそれ程ある訳でもあるまいに、この様な恣意的な人事が行われていたとは、清水の人間として憤懣やるかたない。知事は、静岡市役所の指示命令系統が旧静岡市側によって牛耳られている事を、局長の出身を例に出し明らかにした。知事と市長との対立はそれより数年も前から続いていたが、旧静岡市から続く旧態依然とした「官僚的な体質」と戦っていたのである。

 清水港の港湾機能は、新興津埠頭など県による積極的な投資が続いている。また、運営会社が本年3月で撤退を明らかにした駿河湾フェリーについては、フェリーの存続を前提に難波副知事がまとめ役となり、県と6市町による支援体制を早々と構築し、4月以降の運行継続が確実なものとなった。

 そういえば、平成29年6月に行われた静岡県知事選挙では、川勝候補と溝口候補の一騎打ちであった。開票結果は静岡市のみ溝口候補の票が川勝候補のそれを上回ったが、内訳をみると、葵区が5万767対4万1736、駿河区が3万7562対3万3304で溝口候補の票が多かったのに対して、清水区は4万7840対4万512で川勝候補が多かった。港に関係する仕事に従事する割合が多い清水の住民は、県による清水への思いやりを肌で感じていたのであろうか。合併以来続く静岡優位の市行政に対する反発も、投票結果に影響したのかもしれない。

 民放による川勝知事への新春インタビューの中で、知事から清水駅前に3万人規模の競技場を建設する構想が飛び出した。2014年に知事は東静岡駅北口にサッカースタジアムを作るべきと発言しているが、 この新春インタビューで、「清水エスパルスなのだから、清水につくるべき」と軌道修正をした。民放のインタビューとは言え、映像を通して県民に報道されるのを承知の発言でもあり、何らかの裏付けがあっての事と期待したいものだ。

 ここで気になるのが、4月に行われる見込みの静岡市長選挙である。現時点で立候補を表明しているのは、現職の田辺静岡市長だけだが、駿河湾フェリーの運行継続を主導した難波副知事の著書の出版記念パーティが、今月下旬に開催される事になっており、その際に静岡市長選挙に出馬表明するのではないかとの観測が出ている。清水駅前の競技場構想は、難波副知事の出馬と何らかの関連があるのであろうか。

 川勝知事は、昨年11月に開かれた連合総会の席で、三保の松原の整備が不十分だと田辺市長を批判している。前回の県知事選以後は争いを封印した筈であったが、清水庁舎の移転建設や県庁傍への文化施設建設などハコモノ行政への批判を展開しており、静岡市政に対する攻撃が再燃している。

 昨年末、静岡市議会の自民党市議団は、今度の静岡市長選挙において田辺現市長を推薦する事を決めた。これを受けて、市内に4つある自民党支部のうち、蒲原支部と由比支部が田辺市長の推薦を決定した。残るは静岡支部と清水支部であるが、静岡支部は天野進吾県議会議員などが川勝支持派と見られているが、順当に行けば支部としては田辺支持となるだろう。

 問題は清水支部である。もとより清水経済界の田辺現市長に対する不満は強い。就任以来8年が経過して清水はどうなったか。90億円も掛けて市庁舎を清水駅前に持って来るというが、市役所の本庁部門を全て静岡庁舎に移管するのが前提の新清水庁舎であり、実質的な区役所化である。

 その辺も踏まえて、清水経済界では、経済局を清水庁舎に残す様、市長に注文を出した。自民党清水支部が田辺現市長を推薦する条件の一つと思われるが、本庁機能の静岡集約を目論む静岡市の組織中心が受けるか、先ずは見守りたい所である。

 川勝知事の腹心である難波副知事が静岡市長選挙に立候補したとして、勝利する目算はあるのだろうか。大きく、静岡対清水では人口が2対1である。これをベースに考えたい。

 清水の票は川勝派優位だろうから、具体的には静岡の有権者をどのくらい取り崩せるかという事が重要である。川勝知事が昨年11月に連合の総会に出席したと書いたが、これはも連合に対する支援要請の一環である。もとより知事は民主党系が支援地盤であり、連合の票は期待できるだろう。次は公明党の票である。2017年の静岡県知事選挙では、自主投票を決めた公明党であるが、川勝派の支持に回るか否か、これは何とも言い難い。結果、静岡における田辺批判票がどれ程出るかが、雌雄を決する鍵になりそうだ。

 清水に生まれ、この地で暮らし地元の声を聞いていると、田辺現市長に対する不満は強い。 清水庁舎をコンパクトにして区役所化するために、桜ヶ丘病院の移転先を津波浸水区域に決めるなど、何をかいわんやである。

 清水庁舎は現庁舎の改修で、桜ケ丘病院の移転先は桜が丘公園に、90億円から庁舎の改修費用を差し引いた残りでサッカー競技場を、これが清水の総意ではないだろうか。いずれにせよ、川勝知事派が選挙に立つか否か、今月中には結論が出る。楽しみである。

2019年(平成31年)1月14日

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