人生の選択

清水の記憶

 マイかかりつけ病院の清水厚生病院で、4月から婦人科外来診療が大幅に拡充される。病院のホームページによれば、鈴木康之医師が水曜日を除く毎日、診察にあたるようだ。そういえばベイプレス(清水のコミュニティ誌)最新号にも、医師の写真付きで清水厚生病院婦人科の記事が掲載されていた。はて?どこかで拝見したような顔付きと名前だったので調べてみると、10年前まで清水厚生病院に勤務し、副院長として産婦人科を取り仕切っていた方であった。

 鈴木医師は清水市に生まれ、清水東高校から岡山大学医学部に進んだ。卒業後は浜松医科大学産婦人科関連病院で勤務し、平成21年に副院長であった清水厚生病院から富士市立中央病院の産婦人科に移り、現在は副院長の立場で勤務されている。清水厚生病院から富士市立中央病院に移られた経緯は、本ブログの2018年9月2日「かかりつけ病院」で紹介した通りなので、興味のある方はそちらを参考にされたい。

 年齢から察するに、恐らくは65歳の定年を迎えられたのであろう。岡山大学という偏差値の高い医学部を出ながら浜松医大の医局に入られたのは、地元医療に携わりたいという意思に基づく選択と推察する。それが50代半ばになって、皮肉にも所属する医局の指示で清水から富士に転勤せざるを得なかったとは。心中如何ばかりか察するに余りある。

 小生は日立に入り、横浜、清水、大阪、山口(下松市)の4か所で勤務してきた。初めての勤務場所は横浜市戸塚区のソフトウエア工場で、大型コンピュータの基本ソフトウエア(OS)開発に携わった。ほぼ同時期にIBM産業スパイ事件が起きているが、相当に際どい作業を行った時もあった。

 その後、自身の意思で清水工場勤務になったが、基本ソフトの情報技術者と空調機等の生産が主体な清水工場では、接点が少なく役不足の面があったのも確かである。あのまま横浜に留まって情報関連の仕事を続けていれば、今頃はどんな生活を送っていただろうか。

 サラリーマンとして組織の指示は絶対であり、受け入れないのであれば、組織を離れる他ない。留まるか離れるか。大きな選択であり、それはそれで一つの人生である。

2019年(平成31年)3月17日

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